福井地方裁判所敦賀支部 昭和59年(ワ)12号 判決 1987年4月13日
原告
木村進
右訴訟代理人弁護士
八十島幹二
同
吉川嘉和
同
吉村悟
被告
上田敦子
被告
株式会社みどりオート
右代表者代表取締役
上田清
右被告両名訴訟代理人弁護士
宮本健治
主文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは連帯して原告に対し、金二七〇万円及びこれに対する昭和五八年一二月二八日から支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 昭和五八年一二月二八日午後五時頃、福井県敦賀市神楽町二丁目六―一七先交差点で、原告が普通貨物自動車を運転して、西方から東方に向け右交差点を直進した際、普通乗用自動車を運転して同所を東方から北方に右折進行しようとした被告上田敦子(以下被告敦子という)が原告車の動静に注意を払わず、漫然と右折進行したため衝突し、原告に対し加療約四か月間を要する鞭打症、腹部打撲等の傷害を負わせた。
2 原告は昭和五八年一二月二九日から昭和五九年六月三日まで、同市中央町一丁目二番一号船井医院に入院した。
3 原告は本件事故により次のとおりの損害を受けた。
(一) 治療費 金二六万九〇二二円
右は国民健康保険の三割負担分として昭和五八年一二月分から同五九年三月分までの合計額
(二) 休業損害 金一二〇万八一〇〇円
原告は、四五歳男性の平均給与一か月分四〇万二七〇〇円を下らない収入を得ていたから昭和五九年三月末までの三か月分の合計額
(三) 慰謝料 金九九万円
昭和五九年三月末までの分として右金額が相当である。
(四) 弁護士費用 金二四万六〇〇〇円
(一)ないし(三)の損害合計は二四六万余円であるが、被告らは任意に支払わないので、原告は、福井弁護士会所属の原告代理人らにその取立事務の委任をせざるをえず、その費用は金二四万六〇〇〇円を下らない。
4 被告敦子は本件事故車を運転していた者であり、被告株式会社みどりオート(以下被告会社という)は、本件事故車を自己のために運行の用に供していたものであるから、被告らは自賠法三条による運行供用者もしくは民法七〇九条の不法行為者として原告の受けた損害を賠償する責任がある。
5 よつて、原告は被告らに対し、本件交通事故による損害賠償の内金として金二七〇万円及びこれに対する弁済期たる昭和五八年一二月二八日以降支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のうち被告敦子が原告に対し、加療約四か月間の傷害を負わせた事実は否認し、その余の事実は認める。
2 請求原因2の事実は認める。
3 請求原因3の事実は否認し、その主張は争う。
4 請求原因4のうち被告敦子がその運転車両を自らの車として利用していた事実は認め、その余の事実は否認する。
5 請求原因5の原告の主張は争う。
三 被告らの主張
1 本件車は被告会社の用に供していたことはなく、専ら被告敦子の自家用車として使用していたものであつて、被告会社は自賠法三条の運行供用者責任を負わない。
2 原告の受傷の程度については、森竹浩三鑑定人の鑑定によれば、入院は長くとも一週間、通院は約二、三週間程度の鞭打症であるが訪問販売の仕事への就労については、車両の運転を必要とすることから受傷後一ないし三か月後になるとされている。ところで原告及び被告敦子各本人尋問の結果によれば、原告は車の修理を早くするよう執拗に被告会社に迫り、昭和五九年一月二〇日頃、原告の車を修理して入院先の船井医院に届けたところ、原告はその頃から車を運転して頻繁に外出していたことが認められ、以上を総合すると、遅くとも昭和五九年一月二〇日頃には原告の就労は可能であつた。
3 したがつて本件事故と相当因果関係にある損害は次のとおり金二七万二八二〇円にすぎない。
(一) 治療費 金七万二八二〇円を超えない。
(1) 昭和五八年一二月分(四日分)
二万三五〇円(乙第六号証の四及び五記載の第三者行為分合計二〇三五点掛ける一〇円)
(2) 昭和五九年一月分
イ 前記のとおり、本件事故と相当因果関係にある治療は、入院一週間、通院二、三週間であるから、昭和五九年一月三日までの入院については相当因果関係があるが、その後は通院で足りることになる。
ロ ところで本月分(三一日分)の入院料は、乙第六号証の六によれば、合計一二三二八点(金一二万三二八〇円)であるから三日分の入院料としては一一九三点(金一万一九三〇円)となる。
ハ 次に本月分(三一日分)の治療費のうち第三者行為分は一六三八二点(金一六万三八二〇円)であるが、ここから右入院料を差引くと四〇五四点(金四万五四〇円)となる。
ニ 以上から、昭和五九年一月分の三日間の入院治療とその後二八日間の通院治療に要した費用は金五万二四七〇円となる。
そうすると右(1)、(2)を合計した金七万二八二〇円を超える治療費については賠償義務がない。
(二) 休業損害
(1) 原告の休業期間としては、前記のとおり昭和五八年一二月二八日から昭和五九年一月二〇日までの二四日間にすぎないところ、昭和五九年一月一日から三日までは事故にあわなくても仕事をしないから、結局休業期間としては二一日間のみである。
(2) 原告の収入については十分な立証がなく、これを認めるべきでない。
原告は、羽根布団等を正健商会から仕入れてこれを販売して多額の利益をあげていた旨主張するが、仕入れについての立証はあるものの、これを販売した旨の立証は全くなされておらず、本件事故当時は思うように売れずに在庫を抱えて悩んでいた時期であり、そのことは事故前二か月の仕入れが皆無であることから明らかである。
(3) 原告は、本件事故後株式会社マルコウに勤務して月四〇万円の給与を得ていたと主張するが、同社は暴力団正木組の経営する会社であり、その主張は信用できない。
このことは、原告の性格を知る上で大きな参考となる。結局原告は軽微な本件事故を利用して多額の賠償金を入手しようとして長期間入院を継続していたのである。
(4) 以上のことから原告に休業損害は認められない。
(三) 慰謝料
本件事故が軽微なことを考慮すると、慰謝料としては金二〇万円を超えない。
4 過失相殺
(一) 原告は、本件事故現場である交差点を進行するにあたり、対向車である被告敦子運転車両の動静に十分に注意して進行すべき注意義務があるのにこれを怠つた過失があり、その過失割合は三割を下らない。
(二) なお、物損については、既に原、被告間において三対七の過失割合で示談が成立している。
5 以上によれば、被告敦子が賠償すべき損害額は金一九万九七四円にすぎない。
(72820円+200000円)×0.7=190974円
6 被告敦子は、これまで原告に対し、自賠責保険を通じて金一二〇万円を支払つている(内訳、船井医院への治療費金三五万一六七〇円、国民健康保険へ治療費の求償金二四万二一三一円、原告に対し金六〇万六一九九円)。
7 以上のとおりもはや被告敦子には原告に対する損害賠償義務はなく、また被告会社において仮に自賠法三条の運行供用者責任を負うとしても、右被告敦子についてと同様原告に対する損害賠償義務はない。
四 被告らの主張に対する認否及び反論
1 原告の受傷の程度についての被告らの主張は全部否認する。原告の入院は一五八日間で少なくともこの期間は原告の就労は不能と考えられるが、一〇〇歩譲つても鑑定書に記載のある三か月間を下らないとみるべきである。
2 原告の蒙つた損害についての被告らの主張は全部否認する。
仮に、鑑定書記載のように原告に対するあるべき治療が入院一週間、通院二、三週間に留められるのが妥当であつたとしても、原告の受けた治療の当不当の判断は原告の可能なことではなく、原告の支払うべき治療費については、被告がひとまず負担し、後で治療に当つた医師に対し、被告が求償するのが相当であり、治療の是非の判断責任を原告に負担させるのは、原告において治療を不当に長びかせたというような事情がない限り公平に反すると考える。
3 過失割合は、本件事故態様(特に積雪時にチェーン又はスノータイヤを用いないなど被告敦子の無謀運転に起因すること)から原告が一で被告敦子が九と見るのが相当である。
4 被告ら主張の既払金があつたことは認める。
第三 証拠<省略>
理由
一昭和五八年一二月二八日午後五時頃、福井県敦賀市神楽町二丁目六―一七先交差点で、原告が普通貨物自動車を運転して西方から東方に向け右交差点を直進した際、普通乗用自動車を運転して同所を東方から北方に右折進行しようとした被告敦子が、原告車の動静に注意を払わず漫然と右折進行したため衝突し、原告に鞭打症、腹部打撲等の傷害を負わせたこと、原告が同年同月二九日から昭和五九年六月三日まで同市中央町一丁目二番一号船井医院に入院したことは当事者間に争いがない。
二右当事者間に争いのない事実のほか、<証拠>を総合すれば次の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は、本件事故後相当期間経過後の供述であり、事故後間なしの記憶の新しい間になされた供述調書(甲第三、第四、第七号証)の記載内容と対比して信用できない。
1 被告敦子は、昭和五八年一二月二八日午後五時頃後部座席に二人の子供を乗せ普通乗用自動車を運転し、福井県敦賀市神楽町二丁目六の一七先の交通整理の行なわれている交差点を東方から北方に右折進行しようとした際対向車のあるのを認めたが、当時は積雪が約五センチメートルあり、降雪が激しく視界が悪かつたため距離感を誤り先に右折できるものと軽信し、時速約一〇キロメートルから約一五キロメートルに加速して右折進行したところ、普通貨物自動車を運転し時速約一五ないし二〇キロメートルで同交差点を西方から東方に直進しようとした原告(当時四五年)が、衝突地点の約8.5メートル手前で被告敦子の車を認め急ブレーキをかけたが積雪のため滑走して停ることができず、被告敦子運転車の左側部と原告運転車の左前部が衝突し、原告車はその場に停止した。
2 右事故の両車は大きさ重量ともほぼ同じで、右事故により被告敦子車の左側ボディと原告車の左前部バンパー及びフェンダーが小破し、原告はハンドルで胸を打ち、胸部の痛みを訴えてその日に船井医院に行き船井正和医師の診察を受け、翌二九日から入院したが二八日付の同医師の診断書によると鞭打症、腹部打撲傷で三週間の入院加療を要すとなつていたが、その後司法警察員の病状照会に対する昭和五九年一月二三日付の回答で加療期間が二か月間に変更され、被告敦子は右事故により加療約二か月間の鞭打症等の傷害を与えたとして業務上過失傷害罪により罰金一三万円の略式命令を受けた。
三<証拠>を総合すると次の事実が認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
1 原告は本件事故後少しして船井医院に通院で診療を受け、その日は胸部のみの痛みを訴え、鞭打症、腹部打撲傷の診断の下に注射、湿布(首、腹部)などの処置を受け、消炎鎮痛剤を買つて帰宅したが、その夜寝たところ「首が廻らなくなり」翌二九日には左手足のシビレ、腰痛を感じ、船井医院に行きその日から入院した。原告の船井医院における初診時及び翌日の再診(入院)時の診察結果は、腹部、頸部、左肘、左大腿後部等の圧痛があつたとカルテに記載されている。
2 船井医院入院後は、船井医師は原告に対しエピナール、インドメサシンなどの消炎鎮痛剤やミオブタゾリジンという筋弛緩・鎮痛剤やSM散やネオ・ユモールという健胃消化剤を毎日投与し、静脈内注射を継続して行ない、皮下筋肉注射も時々実施し、これらは昭和五九年六月三日の退院日まで殆んど変ることなく続けられ、また頸部介達牽引も同年一月一日から右退院日まで続けられたが、その間原告の自発痛や圧痛だけで右のような治療を漫然として行ない、レントゲン検査をはじめ何等の検査もしておらず、また同医師は原告の治療にあたつて、原告から事故態様や衝撃の程度等について殆んど聴取せず、その治療はもつぱら原告の痛みの訴えのみによりなされた。
四ところで、鑑定人森竹浩三の鑑定結果によると、
1 本件で長期治療の対象となつた鞭打症という病名は最近ではあまり用いられず、頸椎捻挫又は外傷性頸部症候群という病名を付すのが一般的で、頸椎捻挫の殆んどが追突事故において被追突車両に乗車中の者に発生しており、その理由は正面衝突や側面衝突の場合でも衝撃を受けたときに急激な頸部の運動が起こりうるが、前者の場合は頸が前胸壁に、後者では頭が肩に当たることによつて、頸椎の運動は生理的可動域に止まることが多いのに対し、後方からの追突ではこのような頸部運動を制限する人体構造を欠くため、頸部には生理的可動域を超えた急激な後方伸展が強いられることになるのと、もう一つの最も重要な理由として後方からの衝突であるためその瞬間まで衝突を予知できず、衝突に備えての姿勢保持や頸部をはじめとした全身の防御筋反応の起こつていない無防備な状態で不意に外力を被ることになるからであり、このような追突直後の生理的可動域を越えた頸部のいわゆる鞭打ち運動を原因として頸部筋、項部筋の筋線維の過度の伸長ないしは部分的断裂あるいは脊椎諸靱帯あるいは椎間関節包、椎間板などに過度の伸長、断裂などを生じるが、頸部捻挫とは一般にこのような状態をさし、症状としては頸部、項部、肩甲部などの筋の圧痛、頸部運動制限及び運動痛などが主体をなし、通常明確な神経症状は認めないか認めても一過性であることが多く、初発症状としては項部痛、頭痛、頭重感、肩凝り、上肢のしびれ感、めまいなどの自律神経症状、根気や集中力低下などの神経症様症状などの自覚的なものが殆んどであり、他覚的所見としては頭部の運動制限とくに後屈、側屈の制限や項筋や僧帽筋の圧痛などが挙げられるが、これらはいずれも客観性をもたず、本症は殆んどの場合自覚症状をもとに診断され、その際事故発生時に患者に加わつた外力の大きさすなわち事故の軽重や他覚的検査として行われる頸椎X線撮影の所見が参考にされるとされ、本件の場合長期入院期間中頸椎X線が一度も撮られておらず、またこのような場合により客観的な所見を求め行われる深部腱反射、異常反射、知覚異常の分布に関する検査や神経根症状の誘発テストもなされていないことが指摘されている。
2 次に頸椎捻挫の一般的治療方針として、通常頸椎捻挫における症状は必ずしも受傷直後には現れず、二、三日後あるいは一週間位で増強されることが多く、初期治療に重点が置かれるべきであるとの本症の治療の原則から、本疾患を疑つたなら症状の軽重にかかわらずまず安静を保たせ、一週間前後の安静期間に経過を観察すると共に症状に応じて頸部固定、薬剤投与、局所罨法などの治療を施す、しかし受傷後三週を過ぎて慢性期に入つた頃に依然症状を訴える場合は、心因性、自律神経性の要因がこの頃より大きく関与してくるとされることから、むしろ治療からの離脱をはかり社会復帰に努めさせるべきであり、また長期治療例で治療を中止するにさいしては頸部X線撮影を再検討するとともに頸椎断層撮影、筋電図検査などで特別新たな異常の生じないことを確認しておくことも必要である、とされ更にこのような頸椎捻挫の治療方針は受傷直後の早期の重点的治療が十分徹底されておらず、患者の訴えに対して漫然と長期にわたる治療が行われ、本症の心因性要因をかえつて助長し社会復帰を困難にしたと反省させられる昭和四〇年代前半期の治療の結果に対する深い反省に基づいて確立されたものであつて、本件発生時期には、このような方針は一般化されていたと考えてよいとされ、本件の場合頸椎捻挫を生じたとしても、その障害の程度は軽いものと推測され、通常の頸椎捻挫の域を越えるものではないと思われるにも拘らず、当時の医学知識からしても副作用の懸念されるミオブタゾリジン(昭和五九年頃副作用で製造中止)、エピナール、インドメサシンなどが処方され、症状や経過に応じた変更も殆んどなく、長期複合連用投与されていることに、またこのような長期投薬に対し副作用を十分考慮した形跡もない点にも疑問を感じざるを得ない、と指摘されている。
3 更に衝撃度と頸椎捻挫の発生、重症度について、一般に事故の際に生じる衝撃力の大きさは、追突事故における頸椎捻挫の発生のしやすさ、重症度並びにその予後と一応は平行するが、車両のショック吸収機構やヘッドレストの機能も含めた座席の状態や車の乗員の衝撃を受けた際の姿勢や頸部の筋の緊張状態や頸椎の加齢変化など患者のもともとの易傷性の程度も頸椎捻挫の発症に関連した極めて重要な因子とされ、従つて実際に事故による頸椎捻挫の発生の可能性、重症度を客観的に判断するのは極めて困難であるが、逆に医学的に客観的診断基準を設けることが困難な頸椎捻挫においてはこのような客観的要素を総合して判定する方法が最も妥当と考えられるところ、本件の場合、まず追突事故ではなく、衝突の危険を予知し、防御姿勢をとつたのちの前方対象物との衝突であり、原告の易傷性について、過去に追突事故を受けたこともないようであり、年齢的にも頸部の易傷性が存在したことを示唆する事実も見出せないことが指摘されている。
4 そして以上のことから、原告に少なくとも入院を必要とするほどの頸椎捻挫が生じたとは考え難いが、適当な入院期間は長くとも一週間、通院も二、三週間が妥当であり、原告の訪問販売という仕事では車両の運転を必要とすると考えられることから就労には受傷後約一ないし三か月を要すると推測されると結論されるが、右鑑定の結果は合理的且つ的確であつておおむね是認することができる。
五以上の各認定及び鑑定の結果を総合して、原告が船井医院で受けた診療内容と本件事故との相当因果関係について考えるに、前記認定の本件事故の態様、殊に本件が追突事故ではなく、衝突を予知し防御姿勢のとれる前方対象物との衝突であり、衝撃の程度も、時速一五ないし二〇キロメートルの低速から衝突地点の約8.5メートル手前で被告敦子の車を認め急ブレーキをかけたが積雪のため滑走して衝突したもののその場に停止し、車体の損傷もバンパーとフェンダーが小破したというもので、その衝撃の程度は比較的軽い部類に属し、事故後原告が入院するに至るまでの経緯や入院後の治療状況、前記鑑定の結果指摘された診療上の多くの問題点、本件事故当時における頸椎捻挫の一般的治療方針、状況、その他の諸事情に照らした場合、原告の病状は通常の頸椎捻挫の域を超えるものとは認めがたいのに、船井医院における治療期間、治療方法のうち、特に入院期間が一五八日間もの長期にわたつていること、またその間頸椎X線撮影や客観的所見を求めて行われるべき諸検査を全くなさず、また患者に加わつた外力の大きさ等を知つて治療の参考とするため、事故の大きさや態様等を患者から聞知すべきであるのに原告からそのことを聞こうとせず、ただ原告が痛みを訴えるままに副作用の懸念される各種薬品多数を処方し、症状や経過に応じた変更も殆んどなく長期複合連用投与されたことは、医師としての個別の治療行為における裁量的な幅といつたものを十分考慮に入れても、なお通常の治療方法、期間としての合理的な必要性の範囲を逸脱することは明らかで、前記認定の諸事情に照らし、原告に対して少なくとも一週間を超えての入院及びその後四週間を超えての通院加療は本件事故との相当因果関係を肯認することができない。
六以上認定の事実及び<証拠>を総合すると、本件事故と相当因果関係が認められる原告の入、通院に要する費用(治療費)は次のとおり算定され、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
1 昭和五八年一二月分 金二万三五〇円
<証拠>記載の第三者行為分を合計した二〇三五点に一〇円を掛けた金額
2 昭和五九年一月分 金五万二四七〇円
(一) 前記認定のとおり事故後一週間の入院治療については本件事故と相当因果関係が認められるので、一月三日までの入院料は、<証拠>によれば一月分(三一日分)の入院料の合計が一二、三二八点(一二万三、二八〇円)であるから左記算定により一万一九三〇円となる。
123280円÷31×3=11930円
(二) 次に<証拠>によれば、本月分(三一日分)の治療費のうち第三者行為分は一六三八二点(一六万三八二〇円)であるが、これから右入院料(三一日分)一二三二八点(一二万三二八〇円)を差引くと四〇五四点で四万五四〇円となる。
3 右1、2の合計金七万二八二〇円が治療費として認められる金額である。
七次に本件事故による受傷のため原告が就労することが不能となつた期間につき考えるに、<証拠>を総合すると被告敦子は原告から車を早く修理するよう依頼され、同被告の夫が自動車修理業をしていたので昭和五九年一月二〇日頃には修理した車を原告の入院先である船井医院に届け、以後原告がその車に乗つて頻繁に外出していることが認められ、これに前記鑑定の結果等を合せ考えると原告が本件事故当時就労していた車を利用した訪問販売の仕事に同年同月末日以後は従事することができたものと認めるのが相当であり、右一月末日までの限度で本件事故と相当因果関係のある休業損害が認められるものというべきである。
八そこで右期間中の休業損害額について判断するに、<証拠>によれば、原告は昭和五四年四月頃から中野興業という会社に勤めていたが、昭和五八年中にその会社を退職し、同年七月頃から羽根布団や磁気マットの訪問販売を個人経営ではじめ、大体月四〇万円位の収入があつたというのであるが、右収入を裏付ける証拠としては甲第二〇号証があるだけで、それによれば同年八月に一五八万六三〇〇円、同年九月に一〇三万八〇〇〇円、同年一〇月に一九万三五〇〇円の商品を仕入れたことが認められるもののその仕入れた商品を販売したことを裏付ける証拠はなく、かえつて原告本人尋問の結果によれば、事故当時売れ残つた相当数の在庫があり、その在庫分は後に返還したことが認められ、また右甲第二〇号証では一〇月の仕入れ額が極端に少なくなつているうえ、一一月と一二月については仕入れがなかつたことが推認されるばかりか、成立に争いのない甲第二一号証(昭和五八年度の所得証明書)によれば、原告の同年度中の所得は中野興業における給与所得があつたのみで、その他の営業所得や事業所得等は零になつており、これらの事情を総合すれば、本件事故当時月収約四〇万円の収入があつたという原告本人尋問の結果はとうてい信用できず、本件事故当時は以前に仕入れた商品も殆んど売れず、収入はあまりなかつたことがうかがわれ、多めにみてもその月収が二〇万円を超えることはないと認めるのが相当であり、他に本件事故当時原告がその主張するような収入を得ていたことを認めるに足る証拠はない。
なお原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五九年六月三日に退院した後七月から株式会社マルコウに勤め月約四〇万円の収入を得ているというのであるが、他方右会社は敦賀の暴力団組長の妻が経営する会社であるというのであつて、暴力団関係者の経営するような会社がそれだけの給料を支払うというのはにわかに措信することができず、仮にそのとおりであるとしても本件事故当時に右会社への就職が内定していたとか、昭和五九年一月中右会社に勤務する蓋然性が高かつたとかの事情を認めるに足る証拠がないから右期間中の休業損害を算定する資料たりえないことはいうまでもない。
しかして正月三か日は訪問販売の仕事を休むのが通常であること等を考慮し、原告の本件事故による休業損害としては金二〇万円の限度でこれを肯認するのが相当である。
九次に慰謝料としては前記認定の傷害の程度及びその入通院期間等を総合して金二〇万円をもつて相当と考える。
一〇以上によれば被告敦子が原告に賠償すべき損害額の合計は四七万二八二〇円になるが、<証拠>によれば、本件事故の物損については原告に三〇パーセントの過失割合があるとして原告と被告敦子間で示談成立していることが認められるほか、前記認定の本件事故状況等を総合すれば、原告の方にも被告敦子運転車両の動静に十分注意して進行すべき注意義務を怠つた過失があり、被告敦子運転車両には当時チェーンが装着されておらず、スノータイヤを用いていなかつたことが認められるが、そのことは本件事故発生について何らの要因にもなつていないことが認められるから、その過失の割合は原告において三割と認めるのが相当であり、これを相殺するとその損害額は次の算式どおり三三万九七四円となる。
472820円×0.7=330974円
一一しかるところ、被告敦子はこれまで原告に対し、自賠責保険を通じて金一二〇万円(内訳、船井医院への治療費金三五万一六七〇円、国民健康保険へ治療費の求償金二四万二一三一円、原告に対し金六〇万六一九九円)を支払つていることは当事者間に争いがない。
一二そうすると、もはや被告敦子には原告に対する損害賠償義務はなく、また被告会社が被告敦子運転車の運行を支配し、運行利益の帰属者であつたことを認めるに足る証拠はなく、かえつて被告敦子本人尋問の結果によれば被告敦子が運転していた車は自家用車として専ら同被告が自己の用に供していたものであることが認められるから、原告の被告会社に対する本件請求についても理由がない。
一三なお原告は、原告の支払うべき治療費については被告がひとまず負担し、後で治療に当つた医師に対し求償するのが相当であり、治療の是非の判断責任を原告に負担させるのは、原告において治療を不当に長びかせたというような事情がない限り公平に反する旨主張するが、前記認定のとおり本件事故態様は頸椎捻挫の生じやすい追突事故ではなく、衝突を予知し防御姿勢がとれる前方対象物との衝突であるうえ、その衝撃の程度は軽く、前記のとおり森竹鑑定人は、原告に少なくとも入院を必要とするほどの頸椎捻挫が生じたとは考え難いと鑑定されるほどであるのに、船井医師が原告を長期間入院させたのは専ら原告の愁訴によるものであり、また原告が昭和五九年一月二〇日頃入院先で修理された車を受領した後その車を利用して度々外出していること等を総合すると治療を長びかせたことについては原告の方にも多大の問題があり、前記認定の相当因果関係の範囲を超えた治療費まで被告敦子にひとまず負担させるべき理由はなく、原告の右主張はとうてい当裁判所の採用するかぎりではない。
一四以上の判示によれば原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官浦上文男)